天気の子(ゲーム版)の感想

このエントリーは天気の子のゲーム版があったらと言う想定での感想です。

映画版のエンディングはグランドエンドとして語られています。

ネタバレなので、映画版を見ていない人は決して見ないでください。

 

 

 

 

ゲーム版かー。

始めにやった時は、やっぱりバットエンドでさ。陽菜が消えて東京が晴れたところで終わって、すげー喪失感があったんだよね。

それで、2回目のプレイでは、陽菜に晴女をさせないようにしたんだけど、そうしたら陽菜との好感度が上がらなくって、ずっと雨が降ったまま互いに心がすれ違っていって、自然消滅エンドだった。いや、自然消滅というのは陽菜との(友情)関係が終わってしまうって意味で。

結局、晴女をやって、陽菜の自分のいる意味を自覚させないと次のステップに進めないんだよね。今考えると当たり前だけど。

それからハッピーエンドに行くために色々苦労したよ。そもそも最初にヤクザに銃を撃たないとハッピーエンドにたどり着けないって、わからなさすぎるだろ。あの分岐は未だに意味分からん。あと、撃った後にビルに置きっぱなしにしないといけないのもトラップだよなw。 銃を持っていないと、その後に警察に捕まってしまうから、銃を携帯してないとハッピーエンドにたどり着けないと錯覚してしまったんだよなぁ。

銃をわざと置きっぱにした後、クライマックスであの銃を見つけた時は、マジでびっくりした。

そうそう、あの最後の選択はすっげー悩んだ。「銃を構える」か、「投降する」か、悩んだ末、「銃を構える」を選択した後、警察官も銃を構えたところで、絶対バットエンドだと思った。

ハッピーエンドもよかったけど、その後にグランドエンドがあったのは驚いた。ハッピーエンドは確かに良いんだけど、釈然としないんだよね。

え、グランドエンドとハッピーエンドでは、ハッピーエンドが好きな人が多いって?

ハッピーエンド、あれ、いいか?

ハッピーエンドは、確かに二人が空の上で過ごすことを決めたから、東京は晴れているし、二人は空の上で安らかに過ごせているから、ハッピーではあるんだけど、あれってちょっとちがくない?

人は他人との関わり、繋がりがなければならないんだよ。これは、新海監督の主張で、後に作られた「君の名は」までずっと続いている。

人が他人と関わり、繋がりをもつということは、当然に他の人に迷惑をかけると言うことだと思うんだよね。そういう、他人の行動による迷惑を、許容して生きるのがこの世界だと思うんだよ。

確かに東京は水で沈んだけど、それは今の世界と変わったと言うだけで、今の(晴れている)世界のほうが水で沈んだ世界より良いとは主張されてないんだよ。もちろん、交通機関は酷いことになっているけど、垣間見えた人々の暮らしは普通だった。

若者はさ、自分が正しいと思ったことをやる際に、(世界を変えるかもと言って)行動を躊躇する必要は無いんだよ。やりたいことをやれば良いんだよ。それで世界が変えてしまっても大丈夫。他のみんなは変わった世界を許容してみせるから。

 

<以下、NGテキスト>

え、画像回収? したに決まってるだろ、バットエンドと分かっていても、「3人で風呂に入る」を選択するに決まってんだろ、あの場面は。